三島里山倶楽部

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縄文時代の舟を考える
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万巻上人が愛した函南桑原
巨樹のある神社・仏閣
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間近なイベント
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伊豆の旅
【八丁池】伊豆天城
周囲がスズタケに覆われているため、別名「アオスズの池」とも呼ばれる。静岡県指定天然記念物のモリアオガエルの生息地で、産卵期の6月頃には池周辺の木に生みつけられた泡状の卵が観察できる。ササの一種であるイブキザサはこの池で発見され、ササ属アマギザサ節に含む種とされている。
昭和天皇は1930年(昭和5年)6月に八丁池までの往復を歩き、この際に使用した登山道を御幸歩道と呼ぶようになった。八丁池にはこの登山を記念して「天蹕留蹤碑 (てんひつりゅうしゅうのひ)」と刻まれた記念碑が置かれた。なお、昭和天皇は1981年(昭和56年)6月にも八丁池を訪れている。また、昭和天皇の孫である皇太子徳仁親王も1982年(昭和57年)7月に天城山の縦走を行い、万二郎岳から万三郎岳、八丁池を抜けるコースを歩いた。
【一碧湖】伊東市
「伊豆の瞳」と呼ばれ、周囲4kmのひょうたん型の景観の美しい湖です。湖面に映る天城連山は、春には桜、秋には紅葉と四季おりおりの趣きをみせます。周辺には美術館等の文化施設も充実しており、隣接する伊豆一碧湖美術館のテラスでのティータイムは優雅な気分を楽しめます。俳人の与謝野夫妻も愛したと言われるこの湖は、バス釣りでも有名で、まぼろしの大物もいるとか…。

【大室山】伊東市
伊豆高原のどこからみてもお椀をふせたような柔らかな曲線のシルエットが美しい大室山。標高581mの山頂に直径300mのすり鉢状の噴火口を持つ休火山で全山カヤにおおわれています。

山頂からは相模湾に浮かぶ大島、伊豆七島から天城連山、富士山、箱根へ続く山並へと360度の大パノラマの眺望をお楽しみいただけます。噴火口を周回するお鉢めぐりは、眺望をさえぎるものがない実に気持ちの良い散策コースです。

【雲見】松崎町
40年ほど前、海に潜ったことが思い出します。
潮時になると岩と岩の間に大粒のサザエが絨毯を敷き詰めたように海底に現れ、大袋で6個民宿に持ち帰ったことを思い出されます。

西伊豆雲見温泉の夕陽と潮騒の岬オートキャンプ場、千貫門と雲見崎のはるか遠くに霊峰富士の雄姿、ここからの富士山は、写真集、富士山で十景に選ばれたほどの景勝地です。

夕暮れ時は駿河湾に沈む夕陽が美しく、夜は潮騒と漁火が旅愁を誘います。また絶景の展望風呂から、眼下の海に泳ぐ魚が見えるほどです。
【浄蓮の滝】天城湯ヶ島
天城を代表する名瀑。うっそうとした木立に囲まれたなか、一条の滝が勢いよく岩肌を落ちる。本谷川に架かる高さ25m、幅7mの滝で、滝壺の付近は夏でもひんやりとした空気が漂う。周りにはわさび田や天城の原生林が茂り、天然記念物のハイコモチシダなども見られる。滝の入口に「踊子と私」のブロンズ像、下り口には周辺の自然や文学を紹介する小さな資料館「浄蓮の滝資料館」もある。 

<アクセス>車:東名高速道路沼津ICから県道83号(通称グルメ街道)を沼津市街方面へ3km走った上石田交差点から国道1号に入り、箱根方面に3.5km走った三島市玉川交差点を右折、国道136号・国道414号を29km/電車:伊豆箱根鉄道修善寺駅から東海バス河津方面行きで33分、浄蓮の滝下車、徒歩5分
【河津七滝(カワヅ ナナダル)】河津町
河津七滝は、その名の通り7つの滝があります。滝を「タル」と呼ぶのは、平安時代から続いている貴重な民俗語で、水が垂れるという意味の「垂水(たるみ)」がそのルーツです。

河津七滝ハイキングコースでは、約1時間のコースの中で7つの滝を楽しむことができます。そして、滝のそばは天然のマイナスイオンの宝庫です。秋には、「天城路もみじまつり」が開催されます。

【爪木アと水仙】下田市
爪木崎の手前の自然公園「グリーンエリアには約1時間のハイキングコースがあります。グリーンエリアバス停または駐車場より海岸沿いのコースを自然を楽しみながら散策下さい。ゴールの爪木崎内に入ると、天皇・皇后両陛下の御歌を刻んだ碑をご覧いただけます。

水仙の群生地と知られ、灯台もある散歩道、水仙の時期をはずれても観光地化されていない海岸線を眺めれば心が癒される空間が開かれます。
【大瀬のビャクシン】

ビャクシンの樹林は巨木が生い茂り、昭和7年(1932年)に「大瀬崎のビャクシン樹林」として国から天然記念物に指定されている。

引手力命神社(大瀬神社)は延喜式神名帳に記載があるとも言われ海の安全の神として名高く、多くの文化財や風習が今に伝わっている。

神池は、半島または岬の先端にもかかわらず淡水池であり、伊豆七不思議の一つとされる。


箱根町観光地図
  箱根全山ウェブカメラ

箱根の旅
【芦ノ湖】箱根町

神山が約3000年前に水蒸気爆発と火砕流を起こした際、山の一部が大崩壊を起こす山体崩壊が発生し、その結果誕生した堰止湖である。よくカルデラ湖と解説されるが、それは間違いである。

神奈川県南西部にある県内最大の湖で、早川水系に属する二級河川でもある。

水源の大部分が湖底からの湧き水で、北部(箱根町仙石原)から流れ出る早川の水源になっている。


【箱根神社】
六国史や延喜式神名帳には見えないが、古代よりの山岳信仰の霊地であったと見られる。『筥根山縁起』によれば、孝昭天皇の時代、聖占仙人が駒ヶ岳を神体山として神仙宮を開いたのに始まり、天平宝字元年(757年)、万巻上人が現在地に里宮を創建して僧・俗・女の三体の神を箱根三所権現として祀ったと伝える。駒ヶ岳山頂には箱根元宮が昭和39年(1964年)に堤康次郎の寄進によって再建された。以来、奥宮として登拝者を集めている。 社宝の『箱根権現絵巻』には、天竺斯羅奈(しらな)国・波羅奈国の姫君と王子が日本に来て箱根三所・伊豆二所両権現となったという伝承が掲載されている。
 箱根元宮社殿『吾妻鏡』には石橋山の戦いで敗れた源頼朝を当社の権現別当が助けたとの記事があり、以降、関東の武家の崇敬を受けるようになった。豊臣秀吉の小田原攻めの際に焼失したが、徳川家康が社領200石と社地不入の朱印状を寄せ、社殿を再建した。
長らく別当寺の金剛王院東福寺が箱根権現の中核であったが、明治の神仏分離の際に別当は還俗して神職となり、箱根神社に改称した。昭和3年に国幣小社に昇格した。
【箱根西麓・平安鎌倉古道】

古代の箱根越えは足柄峠を越えていたといいますが、では鎌倉時代の箱根越えはどのようなルートをとっていたのでしょうか。

現在では湯本から湯坂山に上る尾根道(湯坂道)を通り元箱根に出て、その後は海ノ平の付近を越え元山中を経て三島大社の前へと山を下るルートが推定路線とされています。

そしてこのルートの箱根路西坂に5キロに及ぶ街道遺構が残されているのです。
【旧東海道・箱根西麓石畳】

当地区は、東海道の小田原宿と三島宿を結ぶ標高845mのいわゆる「箱根八里」の区間にあり、既に県内でも僅かになった旧街道の道筋と、石畳そのものを今に伝える貴重な歴史資産となっている。

 現地は、可能な限り江戸期の景観を保つよう、発掘調査を踏まえて、石畳がよく残っていた区間は復元し、そうでなかった区間は平成の石畳として新たに整備されており、歴史・文化とふれあえるウォーキングコースとして活用されている。
【元箱根・磨崖仏】
箱根山中には多くの石仏があるが、特に知られているのが、芦の湯から元箱根に通じる国道1号線沿いの、精進池の周辺にある石仏群である。
 芦の湯から、国道1号線の最高地点を過ぎて、左手に五輪塔3基が見えてくる。(3基の五輪塔は曽我五郎・十郎兄弟と十郎の恋人、虎御前の墓と伝えられていて、虎御前の五輪塔に永仁3(1295)の刻年がある。)ここから、約300mの間に国道をはさんで多くの石仏・石塔がある。これが、元箱根石仏群である。

 精進池周辺は厳しい気候と火山性の荒涼とした景観で、地獄の地として、また賽の河原として、昔から地獄信仰の霊場となっていた。その地に、地蔵講結縁の衆が救済や極楽浄土を願つて、鎌倉時代後期に石塔や地蔵磨崖仏がつきつぎとつくられていったのがこの元箱根石仏群である。

 現在、元箱根石仏群周辺は史跡公園として整備され、六道地蔵の地蔵堂も復元された。駐車場の近くには、立体映像や迫力あるサウンドを駆使し、絵やジオラマで地獄や地蔵の救済を再現する展示施設である僧坊風の木造建築物石仏・石塔群保存整備記念館(ガイダンス棟)もたてられた。
【大涌谷】
約3000年前、箱根火山で水蒸気爆発による山崩れが発生し堆積物が地表を覆いました。さらに約2900年前に、小規模な火砕流が発生、冠ヶ岳ができ、また火山砕屑物が積もりました。

この2つの火山砕屑物と山崩れによる堆積物の間が現在の大涌谷と呼ばれるエリアです。


かつては「大地獄」と呼ばれていたのですが、1873年(明治6年)8月5日の明治天皇・皇后のご訪問を前に、現在の「大涌谷」に改称されました。

その後、大涌谷観光センターが整備され、観光用に噴煙や硫黄を見ることが出来るようになり箱根の代表的な観光スポットとして、多くの観光客で日々賑わっています。
【箱根仙石原】

足柄山の金太郎で有名な金時山の南麓に広がる標高700M付近に広がる高原です。

 大昔は芦ノ湖とつながる火口原湖でしたが、現在は草原地帯となり、周囲には美術館やゴルフ場が造られ、多くの温泉旅館や寮・保養所、別荘があります。

 仙石原湿原植物群落は国の天然記念物に指定され、近くには「箱根湿性花園」がありシーズンには賑わっています。

秋には一面すすき草原となり、箱根の代表的景観を作っているなど、四季折々に楽しめる温泉場です。
【函南町原生林】
この原生林は、面積223ヘクタールで、箱根外輪山のひとつ、鞍掛山の南西斜面に位置し、海抜500メートルから850メートル付近にひろがり、500種以上の植物と200種以上の動物が確認されています。

 函南町、三島市のかんがい用水の水源涵養林として、江戸時代から関係者が自主的に保護してきたものです。生木の伐採や下草の刈取などは一切禁止され「禁伐林」と名付けられています。

林内は、地元で「大樹立」と呼ばれる、樹齢700年の巨大ブナをはじめ、アカガシ、ヒメシャラなどの巨樹が群生し、原生林の相観を保持しています。

また、原生林が学術的に注目されるにつれ、森の中に人が立ち入るようになりはじめたので、生態系の維持、動植物の保護や森林の持つ水源涵養機能等の働きなどを認識し、理解を深めていただくため自然遊歩道「学習の道」を整備しています。

富士山の旅
【富士山頂】
富士山8合目以上は奥宮境内地であり、約120万坪の広さに達します。古来富士山は富士山本宮浅間大社の御神体として崇められる神聖地であって数々の霊場行場があります。

表口(富士宮口)から上りつめたところの山頂に鎮座します。御祭神は浅間大神(木花之佐久夜毘売命)を主祭神とし、相殿神として父神大山祇神、背の君瓊々杵尊をお祀りします。

7・8月の開山期には、神職が奉仕し、国家安泰、氏子・崇敬者・登拝者の安全を祈念するほか、家内安全等の諸祈願、結婚式の奉仕、お札・お守りの授与、金剛杖・行衣等の御朱印の授与も行っています。
【河口湖】
、山梨県南都留郡富士河口湖町(旧河口湖町、勝山村、足和田村)にある湖。富士五湖の一つである。富士箱根伊豆国立公園に指定されている。富士五湖の中で最も長い湖岸線を持ち、最も低い標高地点にある。面積は富士五湖では2番目の大きさで、最大水深は精進湖と並び3番目の深さ。
湖の中央に鵜の島と呼ばれる小さな島がある。

河口湖には天然の流出口がないため、古来より大雨により増水し、湖岸の村々に洪水被害を出した。一方で、山を挟んだ東の富士吉田市域の新倉村では透水性の溶岩台地が広がり、水利に乏しく、湖水を新倉方面へ通水させる用水路の開発が求められていた。新倉掘抜は江戸時代初期から工事が行われ、曲折を経て、江戸後期の1865年(慶応元年)に完成し、新倉村は河口湖の水利権を保持している。1911年(明治44年)には新たなトンネルが掘削されたため、それ以降、新倉掘抜は利用されていない。
【山中湖】
富士五湖のひとつ。富士五湖の中で最大の面積を持つ。また、湖面の標高は富士五湖の中では最も高い位置にあり、日本全体でも第3位。逆に水深は富士五湖の中で最も浅い。富士箱根伊豆国立公園に指定されている。

富士北麓に点在する富士五湖の中ではもっとも南東に位置し、南都留郡山中湖村の中央に位置。山中湖は相模川の源流である。なお、相模川は山梨県では桂川(かつらがわ)と呼ばれている。また、山中湖は富士五湖で唯一 天然の流出河川を持った湖でもある。湖面の形は北を上にして見ると鯨の形に似ている。

【青木ヶ原樹海】
青木ヶ原(あおきがはら)は、富士山の北西に位置し、山梨県富士河口湖町、鳴沢村にまたがって広がる原野。

青木ヶ原樹海(あおきがはらじゅかい)・富士の樹海とも呼ばれ、一説に因れば山頂から眺めると木々が風に靡く様子が海原でうねる波のように見えることから「樹海」と名付けられたとも言われる。樹海の歴史は約1200年とまだ浅く、若い森である。

富士箱根伊豆国立公園に属し、富士山原始林及び青木ヶ原樹海という名称で、国の天然記念物に指定[1]されている。このほか国立公園の特別保護地域および特別地区に指定されている。そのため、林道から外れての入林は自然公園法・文化財保護法違反となり禁止されている。
【忍野八海】
忍野八海(おしのはっかい)は山梨県忍野村にある湧泉群。富士山の雪解け水が80年の歳月をかけ濾過し、湧水となって8か所の泉を作る。国指定の天然記念物、名水百選に指定されている。また新富岳百景選定地にもなっている。
延暦19年-21年(800年-802年)の富士山延暦噴火により、宇津湖が山中湖と忍野湖に分かれた。後に忍野湖が乾き盆地になり、湧水口が池(泉)として残った姿が忍野八海である。
「八海」の名前は、富士講の人々が富士登山の際に行った八海めぐりからきており、富士講では忍野八海のことを「元(小)八海」と呼んでいる。
その神秘的な自然景観や現象から、観光客も多く、富士山周辺でも人気のスポットとして知られている。しかし、周囲は観光客用の店や施設などが立ち並んで完全に観光地化されており、自然環境を満喫できる環境とはあまり言えない状態となっている。
【白糸の滝】
白糸の滝(しらいとのたき)とは、静岡県富士宮市上井出にある滝。隣接する音止めの滝と共に、著名な観光地の1つとして知られる。国の名勝及び天然記念物。

上流に川から流れる滝と、富士山の雪解け水が溶岩断層から湧き出す無数の滝が並んでいる。水量は毎秒1.5トン。幅200メートル、高さ20メートルの崖から絹糸を垂らしたように流れる様子からこの名がある。

富士の巻狩りの際に滝に立ち寄った源頼朝は歌を詠んでいる。
“ この上に いかなる姫や おはすらん おだまき流す 白糸の滝

三島市の旅
【三嶋大社】

三嶋大社(みしまたいしゃ)は、静岡県三島市にある神社である。式内社(名神大)、伊豆国一宮・総社で、旧社格は官幣大社。

伊豆国一宮であり、総社も兼ねていたとされる。源頼朝は伊豆流刑時代から当社を崇敬し、鎌倉幕府制立後は伊豆山・箱根とともに当社を重んじた。中世以降は武家、庶民の信仰を集めた。中世以降は暦を発行し、「三島暦」として全国に知られた。

創建に関しては極めて古く不明であるが、三宅島(現 富賀神社)→下田・白浜海岸(現 伊古奈比当ス神社)→大仁町(現 広瀬神社)→現在地と遷宮したとの伝承がある。他に、伊予国大三島の大山祇神社からの分社との説もある。

【楽寿園】
楽寿園(らくじゅえん)は、静岡県三島市が運営する公園。面積約71,850平方メートル。小浜池(こはまがいけ)と周囲の自然林・植生を含む庭園が1954年(昭和29年)国の天然記念物および名勝に指定されている。
1890年(明治23年)、小松宮彰仁親王の別邸として、楽寿園の中に「楽寿館」が造営される。彰仁の没後、1911年(明治44年)に韓国王世子李垠の別邸となり、昌徳宮と呼ばれた。1927年(昭和2年)、伊豆出身の資産家・緒明圭造へ売却。1952年(昭和27年)に三島市が購入し、市立公園として一般公開された。現在、小さな遊園地と動物園が併設されている。
小浜池は、楽寿園の敷地内南側にある大きな湧水によって形成される池。 蓮沼川(宮さんの川)と源兵衛川の起点となっている。かつては三島湧水群を代表する水量を誇ったが、昭和37年頃から、湧水の枯渇が続いており、工業用水の汲み揚げとの関係が指摘されている
【菰池】
こも池は、東を東部台地(標高30〜35m)、西を中部台地(標高30〜38m)に挟まれた谷(標高約25m)の中にある。東部台地は御殿場泥流 @-1 が流れ、中部台地は御殿場泥流 @-2 が流れた台地である。
 谷と云っても浅いものであるが、遷急線はある。谷の上流は、北北東へ300mほど伸びて不明瞭となる。その辺りに溶岩塚群が集まって高まりを形成し、そのために御殿場泥流が流下しなかったものと思われる。
 谷の下流は、白滝川そして桜川、御殿川に繋がる。
 こも池の西の鏡池では、三島溶岩が孤立した溶岩塚を形成している。鏡池の西から北方へは、ちょうど、こも池の北西側を限るように溶岩塚群が、連続的に分布しているようである。
 こも池北部のボーリングでは、地下に薄い溶岩層を確認している。根拠は不十分であるが、三島溶岩ではなく、箱根火山噴出物中の溶岩と見ている。
【源平川】
環境省が地域で保全活動に取り組んでいる清澄な水を100箇所選定する「平成の名水百選」において、三島市の源兵衛川が選定されました。

環境省では、水環境保全のいっそうの推進を図ることを目的に、地域の生活に溶け込んでいる清澄な水環境の中で、特に地域住民などによる主体的かつ永続的な水環境の保全活動が行われているものを「平成の名水百選」として選定しました。
平成20年6月25日(水)に清澄庭園「大正記念館」(東京都江東区)で認定賞交付式が行われ、環境大臣から交付を受けました。
【銀杏並木】
文教町イチョウ並木は、大正時代に野戦重砲兵連隊がこの地に設けられたときに、道路ができたことを記念して植樹されたものです。主要地方道三島裾野線沿いの600mに渡って、約9m間隔で117本のイチョウが植えられており、教育・文化施設が立ち並ぶこの地区のシンボルとなっています。黄葉のイチョウ並木は「新三島八景」に選定されるなど、三島市の景観形成において重要な役目を担う樹木であるため、景観重要樹木に指定することにより維持・保全していきます。

「文教町イチョウ並木」を景観重要樹木に指定しました
【龍澤寺】
龍沢寺(りゅうたくじ)は静岡県三島市にある臨済宗妙心寺派の寺院である。山号は円通山。修行道場として僧堂がある。現在の住職は後藤榮山。
近世の地誌によれば、平安時代初期、空海が今の東京都港区愛宕に創建したとされ、慶長年間(1596年 - 1615年)臨済宗に改宗されたというが、近世以前の寺史は判然としない。
龍沢寺の実質的な開山は白隠慧鶴である。宝暦10年(1760年)、白隠の高弟東嶺円慈によって現在地に伽藍が創建された。[1]
明治時代、星定元志が再興するが、その後は荒れ寺となっていた。大正4年(1915年)、山本玄峰が廃寺同然の龍沢寺に入り、修行道場として復興した。山本のもとには著名人が多く参禅し、太平洋戦争末期の首相であった鈴木貫太郎に無条件降伏を進言したのも山本であった。
山本の後は、中川宋淵、鈴木宗忠、中川球童、後藤榮山が住職を務めている。

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