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問屋場小路(といやばこうじ・とんやこうじ)


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問屋小路は「といやこうじ」または「とんやこうじ」と呼ばれます。左上の写真の道標には「とんやこうじ」と記されていますが三島市や三島観光協会のホームページには「といやこうじ」と記されています。

問屋小路は厳密に言えば、現在の中央町郵便局と三島市役所中央町別館のある場所が問屋場だったのですから赤の実線を問屋小路と言うとする説と、赤の点線で示す田町まで続く小路までを問屋小路と言う説があります。
江戸時代の大きな流通の柱は、なんといっても江戸幕府への年貢米ルート。問屋場の真骨頂の仕事は年貢米の確保管理と江戸への輸送とされる。当時、「蔵場」と称される年貢米倉庫群が存在した。今の伊豆箱根鉄道駿豆線田町駅南側一帯(日本キリスト教三島教会・中田町付近)が年貢米倉庫群があったと伝承されている。

江戸時代、三島宿の「蔵場」から江間を経由して沼津の江の浦まで年貢米搬送路があったとされている。江の浦港から江戸の深川まで千石船により年貢米は運ばれていた。米俵10俵積の大八車を牽く馬道が三島宿蔵場から江間経由で沼津江の浦ルートが設けられていた。つまり、流通の要を担う問屋場から蔵場への問屋場小路が延びて行ったと見るのが自然であろう。当時は箱根鉄道駿豆線田町駅は存在していなかった。年貢の南北ルートが次第に整備され沼津江の浦港から江戸ルートが形成されていたのである。江間・江の浦ルートがどのような峠道だったか、大八車で通行できるような道だったのか現在調査中であるが詳しい資料に接っしられない。
なお、問屋場小路は馬や荷車などの往来の必要性から、他の小路より当時としては道幅が広かったと思われる。

左下の写真左の白い建物の敷地が元問屋場、右下写真は田町駅付近交差点から撮影した問屋小路です。
現在、狭いながらも交互交通可能の道路となっています。


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