三島女郎衆の墓永代供養塔
]無縁仏の女郎衆の墓石を寄せ集め供養塔とした。
2011/08/16撮影
考えてみれば三島女郎衆の歴史は戦争にはじまり戦争に終わっている。
天正18年(1590)、豊臣秀吉(とよとみひでよし)が小田原北条氏攻撃に際し、将士の休養のために女たちを与え慰安(いあん)したことにはじまり、昭和20年の日本敗戦後の昭和31年に法律により廃止され三島女郎衆の歴史は終わっている。
その後、毎年開催される三嶋大社の夏祭りには農兵節の踊りが披露され老若男女が喜んで行列に参加している。地元の人は三島女郎衆の影の部分を十分理解している筈なのに、あえて影の部分を軽蔑せず、むしろ三島女郎衆を繰り返し歌い込み、彼女らを弔うごとく踊りに集中する。
娼婦独特の病気のことも、あえて口に出さず、三島女郎衆の魂を昇華させ三島の水で清め鎮魂させて行く。
昭和に入り、死出の旅路に就く多くの青年将校を見送った三島女郎衆を偲び憐み農兵節を淡々と喜んで伝えている方々は、真に大人だと思う。 |
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