三島梅花藻は三島市の楽寿園小浜池で昭和5年(1930)に植物学者により発見され、三島で発見され、白い梅の花に似た花を咲かせることから三島梅花藻と命名されました。
富士山が三島市民にプレゼントしてくれた水中花であり、きれいな水が絶えず勢いよく流れる環境でなければ生存できません。逆に三島梅花藻は清流のバロメーターと言えるでしょう。
かつては小浜池以外の桜川や源平川など三島市内の河川に繁茂していたのですが、昭和30年代に入ると湧水量の激減にともない河川の汚れが進行し、三島梅花藻は三島から姿を消してしまいました。
三島市民の心も汚れた河川から遠ざかり、湧水の減少化に余程のことが無い限り歯止めがかからないと諦めムードにあったことは否めぬ事実です。
そのような中にあって、三島商工会議所青年部会員から「三島と水」に関する提案文が出されるなどが引き金となり、三島の現状を憂うる有志が集まり始め、後年NPO法人グランドワーク三島をはじめ、三島ゆうすい会などの市民活動家が牽引役となり、河川の清掃や整備など地道な努力により環境保全の重要性の啓蒙が三島市民に広まるとともに、大手工場のご理解ご協力も手伝って湧水の漸増につながり三島市街の河川の流れも、かつての勢いに近づきつつあり、河川のゴミばかりでなく市街地の道路に捨てられるゴミが激減していることに驚くばかりです。
近年、街中がせせらぎ事業において回遊ルートが整備されたこともあって、清流の散歩道として多くの市民が積極的に川とむきあうようになり、ご老人の散歩コースや親子連れ遊び場や観光客の関心まで惹きつけるようになっています。また、平成20年には、市民、行政、企業の協働による再生・保全活動が評価され、「平成の名水百選」に選ばれました。
三島ゆうすい会のメンバーが、「水の都・三島」の申し子であった三島梅花藻を復活させ、三島っ子の心を川に呼び戻したいと、これまで柿田川で保護されていた三島梅花藻を市内の川に移植する試みを続け、水辺環境改善にあいまって、移植した三島梅花藻自体も力強く自然増殖するまでになりました。三島佐野美術館前駐車場横の湧水池を三島梅花藻の育成増殖のための施設「三島梅花藻の里」として、三島ゆうすい会・グラウンドワーク・市民・三島市役所・企業などが手を繋ぎ合い整備を進めています。
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