伊豆地方の道祖神は丸彫りの単躰が一般的。函南町には猿田彦神と天宇受売命が男女一対の形で習合した双体道祖神が5基も残っている。ユーモラスな双体道祖神は信州などでよく見られるが、それらと異なり、函南町の双体道祖神は男女相互のボディータッチ等は描かれず、お行儀よく直立不動となっている。 |
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【石造物】双体道祖神 |
丹那 新山の双体道祖神↓2012/3/23撮影
(双体・立像・浮彫・右像は笏持ち) |
桑原 八巻橋の双体道祖神↓2013/3/23撮影
(双体・立像・浮彫) |
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田代の双体道祖神↓ 2013/3/22撮影
(双体・立像・浮彫) |
軽井沢の双体道祖神↓2013/3/28撮影
(双体・立像・浮彫) |
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畑の双体道祖神↓2013/3/28撮影
風雪による痛み激しく詳細部判然としないが二躰並ぶ |
↓右が畑の双体道祖神・左の石仏は不詳
ともに西向きに鎮座している |
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「賽の神」と「道祖神」は同じ神であり、地域によっては「地蔵信仰」も習合している。
村の境に祀られ、大きく分けて二つの性格がある。
疫病が村に入らないように守る神は「賽の神」で神話のイザナギ、イザナミが発祥とみられる。また、子孫繁
栄。縁結び、夫婦和合、交通安全の神としては「道祖神」である。
「道祖神」は、元は中国の「行路神」で、旅行好きな我が子が亡くなりその冥福を祈って黄帝が祀った。
日本に伝来してから、「塞の神」に習合した。
賽の神は「岐フナドの神」ともいわれる。岐の神は猿田彦と同じとされ地蔵信仰と結びついた。道を行く旅人が
小石をあげてお供えとし拝んだという習慣があった。
この場所は村の聖域と考えられ、地蔵や、庚申塔も祀る地域がある。
函南町の近隣市町村の双体道祖神の分布を述べれば、箱根が双体道祖神の密集地。仙石原、木賀、大平
平、小涌谷、宮城野集落にも多い。神奈川県大和市の常泉寺の参道には21 体の道祖神が祀られている
が、ほとんどが双体道祖神。静岡県東部には、富士宮市に190 基。御殿場市に120 基。富士市。裾野市に
60 基、裾野に隣接する三島市北上地区(沢地・伊豆佐野)に双体が2 体、三島の宿には1 体もなく、単体が
25 体であるという。
伊豆地区では双体道祖神は六躰のみで、その内函南町は五躰と称されているが、言い換えれば双体道祖
神が祀られた南限エリアと言える訳であり、双体道祖神が単独で唐突に函南町のみ存在している訳ではな
い。函南町の北側には多数の双体道祖神が迫って来ていたのであるが三島宿で遮断されている。つまり、
三島宿からの移入は考えづらく、古くから、函南桑原が箱根三所権現の神領エリア(小筥根)だった影響があ
ったものと推察され、箱根山から江戸時代に函南町へ下って来た風習に倣い造られた双体道祖神と思われ
る。とくに、日金山地獄信仰の影響を強く受けている農村だったのではとの見方を強めている。
なお、三島の沢地地区も箱根三所権現の神領であったことから、函南町(小筥根)と同様に双体道祖神が祀
られたと類推している。そして箱根三所権現と沢地を結ぶ交流ルートも浮上してくる。平安古道と称される道
は一般の旅人が行き来した官道では無く、山伏・農民が行き来する年貢米・農産物も流通するルートだっ
た。平安古道の関所跡を有する元山中と伊豆佐野を結ぶ南北縦断する山道「とぶらい道」も存在し、箱根西
麓の元山中・伊豆佐野・沢地のトライアングルエリアは箱根三所権現の影響を強く受けた可能性は高い。
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【石造物】石仏・石塔 |
丹那 伝・大日如来 ↓
(単体・浮彫、目と口に朱) |
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