函南町柏谷の天降神社(あまおりじんじゃ)は、古くは雨降明神・雨下明神と称され雨乞いの神社だった。
境内に他の神の祠が一つもない雨乞いに特化されている空間なのである。
向原鎮守天降神社とも呼ばれ、「仁寿元年(851年)」の地震の記録が天降神社の社記にあるので歴史の古さは分るが、明治以降の事と思われるが天降を天孫降臨と曲解され、現在の祭神が天皇系の神・瓊々杵尊(ニニギノミコト)とされていることから由緒が隠れてしまい紛らわしいことになってしまった。
この神社の近く北東約400m離れた厳島神社の伝承を深読みするならば、この辺りの神社や石碑に纏わる言い伝えから、どうやら土着農家の深刻な雨乞いと農業神を祀るエリアだったと推察される。
近くには6世紀に造られた柏谷穴群があり、六萬部寺境内の円墳も存在する歴史ある土地柄、その末裔達の経済基盤となる田畑農耕の要は土地と日射条件と水が命運を握っていた。
大昔、狩野川の流れは今よりずっと東側を流れ天降神社や厳島神社の近くには狩野川の流れにより形成された六萬淵と呼ばれた(東西200m南北320m)の淵が存在したと口伝されている。
その伝承については 厳島神社のページで紹介するが天変地異・狩野川流路の変遷などに纏わる神話の奥に、この地域の村民の息遣いが天降神社の社叢から聞こえて来る。
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