奈良時代の国分寺(こくぶんじ)の参道を阿闍梨小路(あじゃりこうじ)と言います。阿闍梨(あじゃり)とは、弟子に仏教を伝授する先生格の僧侶のことであり、阿闍梨小路とは偉い僧侶が通う路ということです。
国分寺塔跡では塔の礎石が発掘されており、当時はかなりの敷地を有し仏閣仏塔が建ち並ぶ国家的学び舎が築かれていました。なお、三島には女性僧を対象とする国分尼寺(こくぶんにじ)も創建されていました。
阿闍梨小路には三島七石の一つである市子石(いちこいし)が置かれています。市子とは 神霊・生き霊(りょう)・死霊(しりょう)を呪文を唱えて招き寄せ、その意中を語ることを業とする女性。梓巫(あずさみこ)、巫女(みこ)ともいう。
市子石は南側の小路のほぼ中央を横切る蓮沼川の暗渠上東側に置かれています。
三島宿の東側には箱根山西麓が迫っていますが、中世の箱根山には「箱根派修験比丘尼」などが600軒余りの家に住みつき、女性宗教者が多くいたことが伝えられいる。彼女たちは死霊が集まる箱根で死者の霊を口寄せし、慰める霊能者であったと考えらている。箱根派修験比丘尼のその後の全国への広がりを記録する文献は極めて乏しいことから断定することは出来ないが、山を下った三島宿の市子が「箱根派修験比丘尼」と関係が有るのか無いのか気になるところである。 |
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