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愛染院(あいぜんいん)跡



愛染院は、室町時代には三嶋大社の別当職を務めた大寺院だったが、江戸時代・安政の大地震によって倒壊し、明治元年の神仏分離令によって再建の目途が立たず組織は崩壊され、今日に至っている。

このため、愛染院に関する記録は少なく、その境内や建物配置など具体的寺歴は闇の中に包まれたまま、我々の脳裏から消されつつある。

地形学術的に注目されるのは、「愛染院跡の溶岩塚」だ。溶岩塚は富士山の火山により流れ出した溶岩流が、この地で表面が固まり、末端部分が地中から押し上げられるといった現象が繰り返され出来た地形である。

火山活動の研究に貴重であることから三島市指定天然記念物に指定されているが、富士火山の三島火山流が生み出した溶岩塚と気付かず素通りしていく通行人が多い事が残念である。その富士玄武岩に根を下ろしたケヤキや他の草木の生命力に驚かされるばかだ。


愛染院(あいぜんいん)跡について

「愛染院(あいぜんいん)」という名前は知っている三島市民が激減している。どんな寺院であったかを知る人はごく僅かだ。三島駅が現在地に建設され、駅前道路が整備され、駅南口繁華街が形成されるにともない三島宿の北に愛染院(あいぜんいん)と称され、威容を誇った大寺院が完全に姿を消した。

現在、名前を残しているのは「愛染小路」と商工会議所近くの溶岩塚に造られた人工の滝「愛染の滝」ぐらいなものだろう。幕末の安政の大地震で被災倒壊、明治の神仏分離令(廃仏毀釈)により完全に再建の息を絶たれ、人々から忘れ去られようとしている。

私は一枚の古絵図を見付けた。地震後の絵なのかそうでないかは分らぬものの、河川の位置や楽寿園の小浜が池の位置から愛染院(あいぜんいん)跡と類推できる古絵図なのであり、浅間神社と現白滝公園に挟まれた空間が愛染院(あいぜんいん)の出入口だったことを示している。

大きな伽藍は描かれておらず、小さな建物ばかり描かれていることから震災後の古絵図ではないかと推察されるが、境内周囲は溶岩交じりの樹林となっていることが図示されており、現在の三島駅付近は溶岩の丘だったのか何も描かれておらず、道すら無かったことが覗える。

現楽寿園の小浜が池への道は、浅間神社前の細い通路を横切っていたことを示し、小浜が池の出入口は浅間神社鳥居前だった公算も高いことを示している。楽寿園・三島文化会館・商工会議所・鏡池西方の樹林帯まで一帯が愛染院(あいぜんいん)の敷地だったと古図は語っている。


愛染院は、真言宗高野山派(しんごんしゅうこうやさんは)に属し、三嶋大社の別当寺院(べっとうじいん)で10数カ所の末寺を持つ伊豆随一の大寺院であったと伝えられている。鎌倉二代将軍源頼家の親書「心経」も所有(現在は三嶋大社所有)していた。これは源頼朝の息子も父の念持仏・愛染明王だと理解していたことを意味している。

昔、竹林寺小路(ちくりんじこうじ)にあった「竹林寺」という寺が応永年間(1394〜1427)に現在地・三島市大社町11−15に移り、楊林山薬師院と号した。元は、愛染院(あいぜんいん)の末寺(まつじ)だったが、明治維新の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)によって、本山愛染院が廃寺を余儀なくされ、これを引き継ぎ、真言宗高野山金剛峯寺(こんごうぶじ)の末寺となり薬師院として今日に及んでいる。

また、薬師院は大正初期にはすぐ西隣にあった観法寺(かんぽうじ)という寺を合併し、現在に至っている。したがって薬師院本尊の薬師如来(やくしにょらい)、観法寺本尊の観世音菩薩(かんぜおんぼさつ)、愛染院の護摩本尊不動明王(ごまほんぞんふどうみょうおう)の3体を祀(まつ)っている。

薬師院の宗派は真言宗で開山は不祥だが、明暦年間(1655〜1658)尊誉(そんよ)上人を中興の祖としている。寺伝によると弘法大師(空海)(774〜835)が,修善寺の独鈷(とっこ)の湯を発見の途中、この薬師院に留まったと言われ、本堂左手に弘法大師坐像が安置されている。また、その傍に弘法大師が座したと伝えられる「こしかけ石」がある。

正確に記すならば、薬師院に名を変える前の竹林寺に弘法大師が立ち寄り、こしかけ石は、その後遷祀されたものとされなければなるまい。

また、伊豆中央道をまたぎ県道140号線を北上すると、長伏の17番札所泉福寺がある。境内に入ると左側に観音堂があり、千手観音を安置している。愛染院の仏像の一つで、愛染院が廃寺になった時にここに遷祀されたものである。

加えて、愛染院の秘仏の一つ、「歓喜天」(愛染明王)は高さ 8寸 5分。駿東郡清水町堂庭の「蓮華寺」に遷祀されている。つまり、愛染院の伽藍は姿を消したが、愛染院や三嶋大社に祀られていた仏像は、末寺など三島周辺に遷祀され現存していることを看過してはならない。

更に付け加えて申せば、昭和47年に愛染小路の南側入り口付近のビルの建設に際して発見された愛染院護摩堂で使用された護摩石炉という説が有力である石造物が三島市郷土資料館に保管されているのだが、高野山金剛峰寺護摩壇専門家に視て貰えば一発で事の真偽が分かる筈だが、結論を見送ったまま倉庫に放置されたままであることが不思議でならない。発見されてから何年経つというのか?

密教は即身成仏を説く。来世でなく、この世のご利益を説く。ご本尊の大日如来は矛盾の集合で、世界のあらゆる存在は大日如来の変身、変化であると説いている。大日如来の智慧を現す不動明王は怒って頑迷な人を悟らせる。

慈悲を司る歓喜菩薩(愛染明王)は微笑をたたえ愛情、愛欲の煩悩を即菩提に導く。密教の教えは、現世利益、煩悩や愛欲の肯定、更に呪術的、世俗的、即身成仏だから、忽ち貴族・武士・庶民の信仰を集めた。

ところで余談を申せば、源氏は沼津の浮島で平家の軍に大勝、一の谷、壇ノ浦の闘いで平家を亡ぼし、源氏が天下をとって鎌倉に幕府を開いた源頼朝の念持仏(日常、念持して礼拝する仏像)は、愛染明王だった。この念持仏は頼朝の没後、妻の北条政子により、政子ゆかりの和歌山県高野町の金剛三昧院に奉納され、現在、国の重要文化財となっている。

真偽のほどは分らないものの、頼朝旗揚げ時に愛染院に本陣を置いたとの伝承が仄聞されるが、出陣は北条邸だったことが知られており、愛染院の本陣とは神仏の戦勝加護を祈念する祈祷基壇だったに違いない。愛染明王と頼朝との初期接点は愛染院だった可能性は高いと私は睨んでいる。

ちなみに、頼朝の背後に見え隠れする文覚も立川流真言密教の僧だったのであり、頼朝同様に伊豆に流されており、仏教談話があったならば愛染明王の功徳を学んでいたことも考えられる。ともかく、平安末期は神仏習合の時代だった訳で、頼朝も当然、神も信じ仏も当然の如く信じていたのである。

下の写真・愛染明王(あいぜんみょうおう)像は、源頼朝が亡くなった際、正室の北条政子が、当時仏師として世間に名を広めていた運慶に依頼し、頼朝公の等身大の坐像念持仏(ざぞうねんじぶつ・愛染明王像)として作成されたもの。この念持仏が世界遺産・高野山・金剛三昧院建立の原点と評されている。


源頼朝と愛染院(あいぜんいん)とを直接結ぶ寺も現存している。青梅市成木にある成木山愛染院安楽寺である。奈良時代の和銅年間(708-714)、僧・行基が諸国巡錫の途路、楠木の巨木が鳴動し、光を発しているその中に、軍茶利の形を見て、軍茶利明王を彫り上げ、安置したのが安楽寺の始まりと伝わる。

鎌倉時代、源頼朝が念持仏の愛染明王を納め愛染院を建立している。昭和五十二年、同五十七年から二度に亘り本堂、法堂、仁王門が修理された。境内の大杉は都の天然記念物に指定され、寺域は都の史跡に指定されている。

以上、源頼朝・北条政子・源頼家の残された愛染明王に関する寺院・仏像・親書など踏まえれば、源頼朝の念持仏が愛染明王だったことが明らかになり、とくに三島の愛染院に鎌倉第二代将軍・源頼家の親書が残されていた事実は、源頼朝と三島の愛染院との因縁が浅からぬものだったことを示唆するものと思われる。


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