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金谷小路の道標は無く三嶋暦師の館↑という名盤のみ敷設

三嶋暦師の館・河合家の近辺は、昔は「社家村」と称され三嶋大社に従事する人々が暮らす地域でした。金谷小路(かなやこうじ)は赤い点線で示した三嶋大社の東側側道の天神社から北に向かう通路とする説と、赤線で示しました三嶋大社の総門から東に向かう説があり、どちらの説が正しいのか分りません。

今回、三島市役所が行いました小路整備事業の一環として施工されましたのは赤の実線で示した通路で道標には「三嶋暦館の道」と記され「かなやこうじ」と記された道標は確認されませんでした。

いずれにせよ、金谷小路と名付けられたのは、この界隈に金物師が多く住んでいたからと伝えられています。武具師・鋳物師・三嶋大社建物の板金工など金物加工業者が多く暮らしていたとされます。本来は金屋小路と命名されるところ昔の粋な計らいで、水の寄るところ=同じ類の寄るところ=谷として金谷小路と転化されたのかも知れません。


三島宿に在った古い道を探ることが好きな私は、同時に古い地図を眺めて古い時代へタイムトリップすることも大好きです。金谷小路については、専門家の間でも意見が分かれ、同小路のルートが未だに確定されていません。路地のような細い道だったと指摘し、上掲しました赤の実線ルートの三嶋大社(みしまたいしゃ)から三嶋暦師の館までのクランク状の曲がった小路だったと主張する学者もあれば、旧東海道に直角に接した南北の直線道だったと主張する学者さんもいます。

ここで、私は下に古絵図を載せてみました。昔の絵図の特長として、現代で言えばゼンリン地図のように丹念に民家が描かれる絵図が多い。これは年貢徴収のための報告書に多用された慣行の影響と考えられますが、一軒一軒の描き様は単一的記号風ですが、道筋にびっしり書き込まれています。
金谷小路を探すため、色々な江戸時代の絵図をみましたが、赤の点線で現代地図に記しました三嶋大社から三嶋暦師の館に向かう東西に並ぶ家並みが記された古絵図に接しられませんでした。

反して旧東海道に直角に接し南北に伸びる直線小路の両脇にびっしり民家の建ち並ぶ古絵図は複数確認されました。加えて、「金谷町」と筆で記された地図が確認されました。私の感想としましては南北の道路が金谷小路であるという主張に軍配を上げたいような気がしておりますが、皆さんはどう思われますでしょうか?
ただし、金谷小路と推察される南北道路は、現在では既にセットバック拡幅され味気のないものとなっており、かつての道幅や民家が軒を並べる風情を少しでも感じたい方は「三嶋暦師の路」を歩かれることをお奨めしたい。


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