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編集室所在地
411-0033 静岡県三島市文教町1丁目2番19号
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055-987-9874
メール
hasegawa4734@nifty.com
編集長
長谷川 謙  (はせがわ けん)
編集エリア
伊豆半島・箱根・静岡県東部地域を主体に取材編集します。
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特技
柔道・合気道・居合・棒術・古武道
趣味
Microsoft Officeを使ってホームページ作成
開発
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目標
古いものと新しいものとのダイナミックでスピーディなACCESSとワープ
興味
郷土の歴史文化、伊豆の古い道、樹齢を重ねる大樹の幹、火山洞窟、伊豆半島ジオパーク
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【考えるヒント】

意は似せ易く、姿は似せ難し」と、小林秀雄の「考えるヒント」にあった。青春期の私は、形而上は形而下の上位と理解し、「意は似せ難く、姿は似せ易し」の間違えでは無いかと考え、この言葉が解せなかった。

日本刀の素振りを繰り返す。当初、数ミリのブレがあったものが数千回の鍛錬により100分の1のブレに収束されて行く。そして、100分の1のブレになっても大きなブレを感じ始める。このことは、脳内や体躯全体に1000分の1の誤差を感得できるセンサーが生成されたことを意味する。更に、ブレは左右だけでは無い、切っ先の円弧軌道のブレや押し引きのブレも含まれる。

これに加えて、大地への両足の捌き、臍下丹田への気の充実、目付と手の内の鍛錬、無駄な力・動作の廃絶、無念無想の不動心の養成などが肝要となる。そして、本物の鍛錬が繰り返されれば、他人が真似られぬ姿が現出する。本物の姿と所作の違いの弁別も容易となる。

宮本武蔵は、無名な魚職人の無駄の削がれた流れるような包丁さばきを観て武の達人と絶賛したと伝えられる。大工、壁職人、板金職人、すべからず一流の職人技は繰り返しの精進の結果であり、戦前の職人はそれぞれ真似のできない職場の姿を、先人の動作を盗み真似から入り身に付けていた。

舎利頭(しゃりこうべ)の中の脳みそが自分で一番大事と思い込んでいる人に問いたい。脳みその中にいったい、どの位の自分がありますかと。赤子の時から周囲の大人から言葉を覚え、幼稚園から学校に進学し、読書、テレビ、ラジオ、新聞などから知見を得て、兄弟、友人、周囲の大人などと接しながら世界観を得て来たに違いない。自分だと思い込んでいる殆どが周囲から与えられた借符みたいなものかも知れない。

近年、武道・習字・そろばん・座禅など繰り返しの修練が激減し、上達・精進という概念が消滅しつつある。仕事も職人技という概念が消失しつつある。だが、誰もが毎日食べ、排せつし、寝ることは繰り返し続けていることは間違いない。糞尿製造機のままで一生を終えるのは忍びないことである。

さて、掃除が心を込めて行われたか否かは、掃除が終わってからの雑巾の姿を見れば分かる。臍下丹田に気が充実し、頭のてっぺんから真っ直ぐ天に気が流れる如く腰から背骨が直ぐに伸び正しく歩行しているか否かは下駄、草履、靴の減り様で分かる。歩く姿は嘘が通らない。武の道、禅の道からすると、清く正しく美しく歩く姿は実にたやすいことではなく、際限のない修行なのである。

臨済宗円覚寺の禅の教えとして、自我という壁を飛び越え、「天地と我と同根、万物と一体」「天地大自然は一枚の仏心であった」と気づくことが大切と説く。また、生きるの死ぬだの、他人だの自分だというのは単なる妄想に過ぎない。生き通しの仏心であったとわかる。とも説いている。

そもそも形而上・形而下と分ける西欧哲学がおかしい。なぜなら、人間は首の上と首の下が無ければ生きて行けないからだ。首の上と首の下が連動して感応しあって成長して行く。繰り返しの鍛錬が脳を鍛える場合が多いかも知れない。いずれにせよ、頭と胴体が繋がっただけで人は生きて行かれるかだ。答えはノーである。人間の五体が揃っているとは云え、天地自然の支えが無ければ人は生きて行けない。人は生かされて生きているのだ。座禅や作務を通して自我に積もった垢を洗い落とし雑念はびこる世界から清らかで明るい世界へワープしたいものである。禅の姿は、体躯と天地とが織りなす真似がたい異時空間の姿なのである。



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