三嶋暦師の館から西へ約50mの位置から北へ上る細小路(ほそこうじ)です。最近まで大きな樹木がありましたが残念ながら切り倒され現在ありません。昔の人は現在大場川と呼んでいる川を「かんがわ(神川)」と呼んでいました。三嶋暦師の館から東に向かう下り坂を在住の人から神川坂と呼ばれています。この神川坂から約300mほど北東に進むと樹齢300年(同寺の庭師談では樹齢700年)を数えるクスノキの巨木がある願成寺があります。
細小路は、推定鎌倉古道と称される主道に接し三嶋大社の入り口に位置する古道であり、三嶋大社に従事した人々が暮らしていた地域です。三嶋大社境内の北側の道に接し、その北側の古道を東から北へ進むと祇園山(ぎょんさん)に辿り着きます。幕末の三嶋大社神主、矢田部盛治が作った祇園原(ぎおんばら)用水の隧道口が今も残されています。この祇園山には三嶋大社の守護神・賀茂川神社が祀られていますが、祇園山自体は新幹線工事で山の大半を削られ往時の山頂広場や山頂までの長い坂道は残念ながら今はありません。昔の祇園山の古写真を捜していますが残念ながら見つかりません。
この付近から現在のJR東海道線までの広大な一帯が当時「社家村」と呼ばれており三嶋大社の様々な仕事の従事者が暮らしていました。幕末の三嶋宿には矢田部盛治と江川太郎左衛門英龍という歴史に残る英雄二人が活躍していた場所でもあった訳です。 |
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