平成25年4月27日、壱町田の第六天神社を参拝し撮影しました |
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昔は、壱町田の豪農・加藤家の田の中に鎮座していましたが、現在は同神社の前に市道が設けられ、周辺も整備され第六天が祀られている。明治の神仏分離令で多くの第六天が、他の神に変質されたり神社名を変えられたりされたにもかかわらず、個人宅の一画に祀られていたことが幸いし、往古のまま第六天神社として祀られている稀有な存在として注目される。社の左側に立つモチノキは代々大切にされて来たもので立派な木に育っている。二年前に他界された先代に謹んでお悔やみを申し上げる。
私が第六天に興味を抱くようになった切っ掛けは、新シリーズ「函南見どころマップ」の編集取材で訪れた函南畑の皇産霊神社が元・第六天と呼ばれていたことを知ってからの事。織田信長が己の事を「第六天魔王」と自称していたことは世に知られているが、関東地方に多くの第六天が祀られていたのも事実であり、仏教神とはいえど、何故に明治の神仏分離令により第一の槍玉に上げられたか真相は闇の中である。第六天については調べ始めたばかりで、よく判らない点が多いが三島市壱町田に第六天神社が今も神仏分離令の波を受けずに変質されず残されていたことに驚きを禁じ得なかった。
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↓八幡神社への石段(右)の左の路地を入る |
↓壱町田のあちこちから集められた馬頭観音と道祖神 |
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↓八幡神社の鳥居 |
↓八幡神社の舞殿 |
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↓八幡神社本殿 |
↓境内社 |
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小高い丘上に壱町田の村社「八幡神社」が祀られている。例年祭りも開催され境内は良く整備されている。この八幡神社の南崖下路地に壱町田の道祖神・馬頭観世音が収納され祀られている。壱町田の道路幅拡張工事の際に、ここに集められたものと思われる。
馬頭観世音の数はざっと数えても16内外となり、元に在った場所を知る老人の多くは他界し特定は難しくなっている。馬頭観世音の多さは壱町田の農家の多くが馬を飼って農作業に従事させていたことを意味する。田畑の耕作や里山からの木材搬出など農耕馬が駆使され、多くの馬頭観世音が祀られていたのだ。
昔の壱町田の道路は舗装されておらず、路面には馬糞が散らばり馬力の轍が路面に残される。家庭用栄養源としてヤギや鶏を飼う農家も多く田舎独特の異臭がしていたのを思い出す。人家も疎らで龍澤寺(りゅうたくじ)に繋がる夜道は非常暗く、夏の沢地川に舞うホタルの無数の光に不気味さも覚えたほどであった。
現代では若松町との間にカワセミトンネルが開通し、東壱町田の山の手には住宅団地で埋まり、沢地川大橋を渡った高台には県営住宅や新興住宅街が広がり、スーパーキミサワやハックキミサワなどが進出、新たにMRIを備えた病院も開業し、昔日の面影は一変し便利で住み易い環境に様変わりしている。
沢地の工業団地に近い所にバス会社の営業駐車場があるためバスの便数も多く三島駅への往来に不便性は窺えない。三島市街地からは中小スーパーが廃業して行く中、むしろ買い物などは壱町田の方が利便性が上回っていると言えるかも知れない。
「覆水盆に返らず」の如く、既に壊されたものは再び元には戻らない。だからこそ、先人の知恵と努力で残された稀有な祠や石造物が光り出すのだ。町は益々発展し近代化が進む。代価として自然が追い遣られ緑が遠のいて行くだろう。今や人目をはばかり集団疎開されている馬頭観世音や道祖神は我々祖先が残してくれた昔日の道標なのである。古きものと新しきものの対立では無く、新旧共存こそ大切と思う。
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