「浅間神社」と聞けば、直ぐに富士宮の富士山本宮浅間大社からの勧請神社と短絡して考えてしまう人も多いが、三島の浅間神社は全く独自の経歴を刻んでいる。
そもそも富士山と三島との因縁は深く、三島火山流や御殿場泥流の最終地点にあり、JR東海道線三島駅付近の三島風穴・楽寿園・愛染院跡溶岩塚・白滝公園・別名岩止め浅間と称される浅間神社があり、富士山の伏流水が豊富に湧き出ずる水の都として古来から有名な土地柄である。
三島溶岩流を堰き止めたとされる地に祀られたのが三島の浅間神社である。浅間神社の主神は木花開耶姫(このはなさくやひめ)である。その木花開耶姫の父親は三嶋大社に祀られる大山祇命(おおやまつみのみこと)なのである。つまり、三嶋大社の別宮として創建され、今もなお三嶋大社により年頭より手厚く祀られている神社なのである。
神社の神威とは軽々に境内の広さや拝殿の大きさに比例するものでは無い。三島の浅間神社は小さいながらも本殿と拝殿の二つを有する神事の基本を備えている。日本屈指の三嶋大社の神官が毎年1月2日に行われる拝礼は古式豊かで見応えがある。拝殿と本殿を結ぶ階段を行き来する神官の足取りに淀みは無く凛として神奈備の気配を感じざるを得ない。
伊豆田方方面の人々が富士登山を目指した際には、必ず参拝詣でしたとされる浅間神社の富士山登山ルートは、ほぼ決まっていた。現在、裾野市の須山の浅間神社を目指した筈である。つまり、富士山本宮浅間大社の登山ルートとは全然違う富士山南東の登山ルートを守っていた。
いずれにせよ、三嶋大社の神官が同社への認識が強ければ、その深奥を探りたく、また、別の見地から浅間神社の池の流れを解明して行きたい思いに駆られている。
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