柏谷穴群 |
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柏谷横穴群は古墳時代(7世紀から8世紀頃)に造られた横穴群型のお墓とされている。当HPで掲載中のシリーズ「万巻上人の愛した函南桑原」にて万巻上人の生涯は、719年〜816年だから、新光寺の七堂伽藍が建てられた200年余り前に穴群が造られていたことになる。つまり聖徳太子の時代に造られた。
穴群はお墓であり住居では無いので、文化的ギャップは余り考えなくともよいかも知れない。当遺跡の近く南西部にある伊豆の国市「北江間穴群」から発掘された「若舎人」と記された石櫃に見られるように都との交流が窺えるからである。
東西約600m、南北約250mの中に300〜500基の横穴がある。現在はっきりわかっているのは141基。
全国でも有数の規模で国指定史跡となっている。
函南町の歴史的財産である柏谷横穴群を適切な維持管理を図るため、現在、「柏谷公園」として整備されている。歴史とふれあう場・健康づくりの場・コミュニティ形成の場など有益なテーマを盛り込み、多くの町民が集う多目的公園として活用が図られている。
ただ、この地を初めて訪れる人にとっては「柏谷穴群」が何処にあるか分り辛い場所にあることと、やっと探し当てて辿り着いても、車の置き場所が分り難く、昔は見学訪問の阻害要因となっていたが、現在は柏谷穴公園が整備され駐車場問題は解消されている。
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現在までに3群51基が確認され、狩野川左岸の北江間横穴群を中心とした地域で、最大かつ中心的な横穴群として知られる。
中には幅3〜4m、玄室2つをもち全長が8mを超える(入り口側は未確認)巨大なものもある。横穴群の形成は7世紀前半から始まっている。
ただし、この巨大石室は上掲写真の穴群より高い位置の斜面に存在し、何故か調査が中断され永年放置されたままの状態にあり、現在、雑木雑草に覆われ、昔の青道は通行不能となり観察できない。
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八重窪穴群(函南町大竹100民家の南:JR東海道線大竹トンネル東口北約100m標高70m〜80mの南東斜面)
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↓穴調査時の古写真(函南町資料) |
かんなみ仏の里美術館の前道につながるルートにありJR東海道線のガードをくぐり左手にある。春日神社(新幹線ガード)より、かなり南に位置する。
現在までに38基が確認され、北伊豆の横穴群の単位構成を研究する上で基本となる遺跡として評価されいる。一部の調査により7世紀の後半には形成が始まっていたことが判明している。
下の写真は2013年3月23日撮影したものであるが、最近では調査が全く行われておらず、枯れ木や土砂に埋もれ、辛うじて一基の穴が顔を出している惨状にある。
左下の函南町の説明看板も風雪により文字が薄くなり見え辛くなっている。 |
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2013/3/23撮影 |
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