現在、函南町だけが田方郡の名を継いでいるが、町村が合併して伊豆市や伊豆の国市となった広域なエリアを田方郡であった。伊豆半島の狩野川流域の田方平野の土着民は平安時代ごろより日金山信仰が広まり、死んだ人の霊は日金山に登り日金山を彷徨うと信じられて来た。
やがて、鎌倉時代、室町時代、戦国時代、江戸時代と年月を重ねると地蔵信仰や地獄極楽信仰が色濃くなって行き日金山参詣道が形作られて行き、大土肥の雷電神社の大鳥居を出発点として法伝寺を経て軽井沢の雷電神社を第二の鳥居とし、更に田代の火雷神社を通過して日金山への山道を登って行く参詣道が完成されて行った。
日金山への道中を唄った古文書も残されている様だが、県道20号線など新しい道に寸断され、かつての参詣道は雑木や笹や雑草に覆われ道なき道の有様と伝えられている。日金山道の復活を望みたいところであるが、どれだけ正確な資料が残されているか、それさえ分らない。
私はそれでも日金山道の普及は可能と考えている一人である。何故ならば日金山道を道無き道を踏破する記事に接する事が出来たからでもある。がんばれ函南と言いたい。なぜなら日金山ハイキングコースは殆どが熱海からのルートであり本来あった日金山道の在った函南からの登山ルートは忘れ去ろうとしているからである。
私は想う。もし田方郡の最後の名を背負う函南町として、その函南に生まれた青少年の心の故郷として真に望まれるものは真に誇れる歴史文化であり、眼先にちらつく経済利得では無く、長い歴史を包含するありのままの姿をこれからの青少年の人生に如何に投映させるか否かにかかっている。
万巻上人の道、日金山(ひがねさん)の道、穴群の道、それぞれ違った道の歴史文化を抱える函南町は最後にして田方郡を背負う町である。軽々にして経済優先の一本道に走らないで欲しい町でありたい。 |
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