冷川沿いの高源寺へ向かう途中に不動滝がある。3月なので流量は少ないものの神奈備の気配が漂う。右手のお堂裏の石積の上には祠が置かれ、中に不動明王が祀られている。
筆者が今探しているのは、源頼朝の乳母・比企の尼の住いが函南大竹にあったとされ、住いの庭に不動明が祀られ、その後、畑の中に放置されたままと伝えられているからである。不動滝は大竹とは少し離れ、大竹には他に不動明像は存在しているものの、高源寺の伝えるところによれば、高源寺の近くに住んでいたとしている。どちらが正しいか分らないが、蛭が小島まで直線距離で7km余り、比企の尼の娘婿の安達盛長を毎日通わせるに遠くでもなく近すぎでもなく、ちょうど良い距離と言えよう。
当時、身内以外の第三者と同居することは許されておらず、毎月、武蔵国比企より食糧や身の回り品などを源頼朝へ送り届けることを表沙汰にすることは憚れるとして、少し間合いをとって援助を続けたに違いない。いずれにせよ、函南桑原(小筥根)には新光寺があり、箱根三所権現の創設者・万巻上人の霊廟があり、修験者が修行の場とした高源寺が存在した。
新光寺には必ずや箱根三所権現の別当・行実と弟の永実が頻繁に顔を出していた筈である。高源寺にも
白山権現・熊野権現・走湯権現などの修験者が修行に訪れており、源頼朝と箱根権現と走湯権現との因縁が深まる土地柄と思えるのである。その意味からも比企の尼の館の所在が知りたいのである。
住いの庭に不動明が祀られていたとされるが、目立つ大きな石造を置くとは考えられず、小さな石像とすれば小さな祠に入るのではなかろうか、そんな空想を懐に仕舞って家路を急いだ。
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