岩に彫られた馬の像は稚拙ながらも、良く見れば馬の像だと視認される。
馬は考えれば当時の高級乗用車だ。凹凸のある当時の山道を踏破するには四本足の馬しか無かった。
だから、当時の赤貧農家にとっては手に入れることが不可能な高嶺の花だった。
だからこそ、源頼朝などの有名武将にこじつけた伝承が残されたのだろうが、馬に関して馬頭観音や駒形像などが各地に残されている。
豪農や木材や農産品などを運ぶ運送業者が馬を仕入れることが出来たのは江戸時代中期以降とされ、一般庶民にとって馬は高嶺の花だった。
駒形堂の駒形像は、馬の力を尊崇する庶民の心の表れであり、貴重な民俗資料と評されている。 |
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